(ちばてつやさんこめんなさい) 佐藤 悦治
私は、昨年度(2018年)全国パーキンソン病友の会「香川県支部」があることを聞き、
あゆみの会の活動に参加するようになりました。入会にあたり、また次の入会者の
方々へのメッセージとして、自己紹介かたがた私について執筆を始めることとしま
した。
その1 私の病歴 |
045歳頃から、本のページがめくりにくく、手が細か<震えていることに気づく。
「アルコール中毒?」と、かつて学級担任をしたSC(カウンセラー)に聞くと
「やめようと思えばやめられるのであればアル中ではない」とのことで妙に安心。
以後病院へ行かず。
049歳パーキンソン病罹患
Dr:どうかしましたか?
私:思うようにネクタイが結べなくなったんです。脳梗塞かなと思って・・
Dr:ちょっと歩いてみて、どうぞおかけください、あなたはパーキンソン病です。
私:何ですと…!?。(検査もせず、診察前から何という大胆な医者だ)
051歳舌がん罹患
左半分の舌を切除。(ヒベン:見かけを整える代替)として腹直筋を皮膚を含めて
切除部分に移植。頸部リンパ節も切除。手術には、何と1 4時間もかかり、2リット
ルの輸血。(医師の集中力と体力に敬服!)術後、地元の歯科医に「口の中に剛毛
の縮れ毛が生えとる。うまいこと治ったのう。紹介状書いてよかった。」と・・。
05 2歳 DBS(脳深部刺激装置)埋め込み脳外科手術
ガーガーパコッと麻酔なしで頭骨に穴が…。視床下部に電極を差し込みながら「どう
ですか?手先は動きやすい? 何? わからないのであれば、もう一度入れ直して
みよう。」計3~4回の差し込みなおしの末、「背中が痛い」との私の泣きに、「縫合
では時間がかかる。ホッチキスもってこい」と…手術は終了。
053歳仕事に自信がなくなり、中学校教頭を退職願い出る(自己都合扱い)。
体調思わしくなく、
①大きい声は出せない。授業もする教頭は任を果たせない。
②緊急時に現場急行が困難。職員の掌握指揮困難。
③迅速な事務処理等不能。報告書類等作成が間に合わなくなる。
など、自覚症状があリ、上司の次の言葉に、もうここにいてはだめだと決心し、
退職を願い出る。
「教頭は職員の管理その他の業務と授業をしなければならない。なにより、教室
で、不明瞭な言葉で小さい声、授業がはっきリ聞こえなけれなければ『生徒に失礼
である』職を続ける配置転換等の処置は香川県にはない。(一般企業や他県の教員
はその配慮があるようですが)…···[TV]ガイアの夜明けだったかで見たことや入院中
の同室者の好待遇を知っていたのだが、法的には何の間違いのない処置に納得して
「もう職に復帰してくることはないだろうな。」との上司の冷たい声に送られ、休
職、退職する。「障害者自立支援法」の施行1日前の日付であるのを知って辞職願を
出したし、手当の期間や休職期間は残して退職。納税者の皆様にこ負担をかけては
いけないと配慮した次第である。(という控えめな私)
055歳そけいヘルニア腹腔鏡下手術
058歳あゆみの会入会
059歳美容整形
まつげが長いにもかかわらず、汗が目に入り、目を閉じる。加齢もあり、まぶたが
下がり、目を覆って前方や正面、上方が見づらく視野が狭くなる。また、そのため、
左目では常に目を閉じて見ないのが習慣化。そこで、まぶたを少し切除し、皮膚を
短くし、ついでに二重まぶたにした。これで、目はパッチリ、美しい両目になり、
転倒の恐れ大幅低下。これは、高齢の方、高齢運転する方におすすめ。
〇現在3級の障害年金(公務員共済)農業手伝いにて生計を営む。
〇ところが・・・またまた危機が
6月末から体調を崩し、急に起き上がれなくなる。
5 3 kgまで回復していた体重は3日後に49kg。床に伏すこと1ヶ月でようやく杖に
すがりながらの歩行に。次第に体力の衰えを感じるようになるが、もう一度自由を
取リ戻したいと思い、自宅療養した経過報告はまた次の機会にします。
2019年7月