佐藤 悦治
第2号3号のあゆみの会会報誌において、49歳でパーキンソン病に罹患し、60歳になる
現在までの私の病歴について簡単にレポートしました。今回は、次々とトラブルを抱え、
思い通りに体調が回復しない中の、私の療養中の思いを書きたいと思います。
1.鴨長明「方丈記」が頭から離れない! |
(行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし..。)
「my方丈記」=月日の流れは元に戻せず、元の健康状態には戻れない。またまた
トラブル・手術だ。~(絶望?あきらめ?)
◎覚悟を決める……パーキンソン病罹患の頃
「何ということだ、難病だなんて信じられない。」治療開始と 同時に、病気関連
の本を買ったり、PCにて一生懸命にリハビリや治療・病気の理解などの資料を調べ
たりしていました。治らないはずがないとか、終末期の症状はどうなるのだろうと、
随分もがいていたような気がします。医師の診断は誤診で何かの間違いだろう!と
いう考えが長く頭の中を巡っていました。しだいに症状が進行していく中で、自分
が克服しなければいけないパーキンソン病に対する覚悟も固まり、病気の進行が避
けられないのであればと思い、自動車の運転もまだ可能であった期間を利用して、
同行2人四国88カ所自動車巡礼したのが自由に振る舞えた最後になりました。あれこ
れともがくよりも、今できることをすぐにやっておく方が後海しない生活につながる
と、この時思いました。
◎徐徐に、失う(罹患後パーキンソン症状意外にも~)
※舌を 失う(52歳)……
舌がんで節切除明瞭な発音を失う。(うまくしゃべれなくなり、現在ほとんど
会話しない)。舌がん以降、歌 を歌わなくなりました。若い頃(高校の部活
動はコーラス部)、「ハレルヤ」やシューマンの歌曲などなど歌ったもので
すが・・。口腔内の環境が変わり、舌だけでなく多くの歯を失いました。
噛むことができなくなり、食事の楽しみがなくなり、栄養は胃 ろうに頼り
ます。「GoTo何とか」は今の私にはあり得ない。
※休職の後、職を失う……
中学校に勤務し、教頭職に就いて いた私は、職を全うすることができ
ないと判断し退職しました。パーキンソン症状のみであれば、何とか
服薬で60歳まで務められたことだろうと思いますが、52歳で舌がん切除
し、徐徐に言葉がはっきりしなくなりました。教員は話すのが大切な仕事
ですから、「生徒に十分に話が伝わられないのでは、生徒に失礼だ。」と
考えた結果です。職を失ったことは本当に大きな失意でした。
※運転できなくなる……
自動車の運転は免許の更新時医師の診断で条件付き可でしたが、今は全く
運転しません。運転を止められることは私にとって大きな失意でした。
行動範囲が極端に狭くなり、落胆の毎日のあと、寝たきりの時期を迎える
ことにもなったのです。
※パーキンソン症状の進行に加えてこの10年……
△パーキンソン病DBS、△胃ろうPEG設置、△そけいヘルニア手術2回、
△間質性肺炎、△外反母趾・ウオノメ?を含む足の故障から杖が離せない。
口からの栄養摂取が困難となって体重激減し、現在も杖歩行。
◎次々とトラブル、そして入院、手術。2020年10月9日胃手術。もう病気も
手術もたくさんです。
(少しの幸せと希望・未来への好奇心)
うれしいこともなく心が沈むことばかりの不自由な生活。おいしいはずの食事は
噛めず、飲み込めず。おいしかった コーヒーはむせて飲み込み困難で、現在は
間質性肺炎。しゃべることもなく、自室の周囲を散歩することが日課の 日々、
現在の楽しみは、植物を育てること、犬を散歩させることなど、ほんの些細な
ことです。
◎もうちょっと先が楽しみだ(小さきものに支え
られて~)
夜が明けると自室の縁先に飼い犬がやってきて
クーツと 小さくささやき、私を呼び、散歩に
誘います。「伏せ」をして待つ犬を連れてよろ
よろと自宅周囲を歩きます。犬は決して強く
ひもを引かず、時々私の顔を見ながら私の歩み
の速度に合わせて前を進みます。本当は足が
動かないので歩きたくないのだけれど、でも
毎日の日課の誘いにイヤでも応じてしまいます。
太陽が昇る頃、歩みのリハビリから戻ると、
挿し木をしたコウヤマキの穂やレモンの挿し
木苗、ブルーベリー等の水やりや手入れを
します。少しずつ成長しているとはいいな
がら、コウヤマキに至っては挿し木後、
半年経過しても根が 1本かろうじて出た
程度で、コウヤマキは挿し木困難な植物らしく、活着しにくい。でも何年先
になろうとも、ちゃんと成長していくことを楽しみに見ています。
今、栗の季節がほぼ終わり、柿が色づいています。
自宅周囲の里山は、スダチの実も収穫の時期。歩けば次々と小さな楽しみが
たくさんあります。季節の移り変わりや生命の輝きを毎日見つけ、そこに
小さな幸せを感じながら日々を暮らしています。