大川 一郎
一昨年の4月末、夕食に肉を食べようとして、飲み込むことができずに、息が詰まりそうに
なり、慌てて横になって思い切り肉を飲み込みました。幸い、飲み込めて息も回復したのです
が、ここから悲劇が始まりました。まず一つ目の教訓は、自分の嚥下能力を過信してはいけない
ということです。
翌日、目覚めた時から喉に違和感がありました。昨日の肉が喉に引っかかっている感じがして、
病院で診てもらうことにしました。ただ、その日はゴールデンウイーク前の土曜日で当番医を探し
ての受診となりました。まず午前中、耳鼻咽喉科に行って内視鏡で診てもらいました。「異常は
ありませんが、気管に影響のある場合は内科で見てもらってください。」と言われ、午後は内科に
行きました。そこの対応がひどくて、レントゲン撮影まで3時間、その後診察まで1時間待たされて
「気管に腫れがある。ここでは判断できないので、来週月曜日にどこか呼吸器内科のある病院に
行ってください。」と言われ、さすがにその無責任な言い方にカチンときましたが、「土日体調の
悪いまま過ごしたくない。今から診てもらえる病院を探して紹介状を書いてください」と主張して、
日赤の緊急外来に行くことになりました。2つ目の教訓はそういうお医者さんに遭遇したときでも
前向きに主張することは大事だということです。
日赤に行った時は、喉の違和感は変わらなかったのですが、38度近く熱もありました。日赤では
すぐにコロナの抗原検査を実施することになり、2回目の検査で何故だか陽性と判定が出て、その
ままコロナ隔離病棟に入院させられました。それから3日間隔離病棟で過ごしましたが、その間毎日
の抗原検査は陰性で4日目に一般病棟に移りました。3つ目の教訓は抗原検査陽性でも未感染はあり
うるということです。1日中病院にいたのでウィルスが付着したのかも知れません。
一般病棟に移っても、喉の違和感があり、熱が引かず、血液検査で炎症反応が引きませんでした。
そこで原因を調査するためいろんな検査を行い、『甲状腺腫』(左側の甲状腺にできた膿疱が裂け
て出血していた)が判明し、退院後落ち着いたら、手術で摘出することが決まりました。4つ目の
教訓は良いことと悪いことは同時にやってくるということです。コロナ疑いで入院させられたもの
の、甲状腺腫の病名にすぐにたどり着くことができました。
ただ、パーキンソン病の私にとって、トータルで11日間狭い病院のベッドで運動もできずに過ご
したことは、自殺行為に等しいものでした。ベッドから起き上がれない、歩けない、声が出ない、
退院しても自宅で一人で日常生活ができない、そんな状態になっていました。そこで、主治医の
先生と相談して、リハビリ入院をすることにしました。一昨年の夏に3ヵ月入院して、少し体力が
回復し、日常生活もこなせるようになり、甲状腺の手術も成功しました。その後外来リハビリに
通い、更に昨年の夏一ヶ月リハビリ入院して、今日に至っています。最後の教訓は、パーキンソン
病患者にとって体を動かすことは、薬を飲むことに等しいということでした。