福西 三穂
私がパーキンソン病と診断されたのは5年前、68歳の時であった。そのどれくらい前からであったか…はっきりとはしないが、ずっと調子の悪い日が続いていた。こ飯もおいしい、夜もよく眠れる…だのに何かおかしいのである。何とも言えない不調に私は戸惑っていた。一番変だと感じることは『うまく歩けない!』という事だった。何だかちぐはぐなのだ。自分の左足を叱咤激励しないと歩けないという感じ。『変だ、変だ』という私に夫が『歩くとき右手は振れているけど、左手が殆ど動いてないょ』と言った。
何だか訳がわからないまま月日は過ぎていった。その頃私は夫の実家の竹やぶ掃除を手伝った時に痛めた右肩のせいで右腕が上がらなくなっていた。済生会病院で腱板損傷と診断されリハビリに通っていた。1年ほど通った頃、どうしてか左腕の調子も悪くなったが、整形外科としては悪くないと言われ途方に暮れていた。その上健康保険の制度でリ八ビリは1年以上は続けられないと言われ終了となった。右腕は元通りではないがかなりよくなっていたので、こんなものかと納得した。
リハビリが終了した翌月、同窓会があり上京した。同総会会場でとても気分が悪くなり、先に一人でホテルに帰った。その夜は同級生3人と女子会をすることになっていた。後からホテルにやってきた友に『歩き方、おかしいよ』と言われ、この気分の悪さも只事ではないと思い、予定を切り上げ急いで帰宅した。
あくる日飛び込みで県立中央病院へ行き、紹介状なしでの診察を渋られたが、何とか頼み込んで『総合診療科』で診てもらった。そこで初めて『パーキンソン病の疑い』と言われ1週間の検査入院となり、病名が確定したのである。
ずーっとしんどかったので、とにかく病名がわかってほっとした。初めてメネシットを1錠飲んだ時、ぼんやりしていた頭が晴れた気がしたこともあって『これで楽になる』と思ったのである。
あれから5年、薬の量(l日当りアジレクト1錠メネシット1.5錠)は変わらず何とか今日に至っている。
あちこちの関節がこわばって痛い、歩きにくい、洋服の脱ぎ着がしにくい、細かい作業ができない、
のどが詰まる等々不調なところはいっぱいあるが、脳神経内科の主治医から最初に言われた言葉「100%を目指さずに80%位で満足して行きましょう。そうすることが薬の量を増やさずあなたの脳を守ることになる。』
いつもどこかが痛かったり不調で『もう昔の様に快調という日はないんだ』と思うとつらくなるけ
ど、先生の言葉をお守りにして私は毎日を過こしている。